2011年12月26日月曜日

今年もわずか

最近気になる動画。
『impossible is nothing』
舞台はキューバ。不可能なものはなにもない。

アディダスの広告です。

”モノ”と”気持ち”の順番について思います。
アレをしたいんだけど(しないといけないんだけど)、コレがないから出来ないんだよなあ。
いや、ものがなくても気持ちがあれば、やり始める事は出来ます。
逆に、モノが無い方が、自分の気持ちがどれだけ真剣かが把握出来て良いかも。

2011年12月24日土曜日

蟷螂拳稽古納め

本日は、今年最後の蟷螂拳の練習でした。
今までの復習と、新しい套路を少しだけ教えてもらいました。
套路をやっていると、”ああ、蟷螂拳をやっているな”と実感が出来るのですが、
基本練習、単発の突きや蹴り、移動などは、あまり”蟷螂拳”を感じさせません。
ですが、最近はこういう基本練習の方が面白かったりします。
少しずつ、体が変わって来ている、技の精度が増して来ている、出来なかったことが出来るようになって来ている、そういう実感があります。
やりはじめて約半年。ようやくなにかが体に備わったんだろうなあ。・・・
加えて、ジムでのトレーニングが良い影響になっていると思います。
次回の練習まで、少し時間を置く事になりますが、身に付けたものを忘れないように!

−−
意識する事
重力を味方にする

軸になる足の踵で地面を踏み、反力を拳に伝える。
インパクトの瞬間、少し体を沈める。
腰の回転を打撃力に乗せる。
足、腰、手の動きがバラバラにならないように。
蹴り
軸になる足の踵で地面を踏み、反力を蹴り足に伝える。
爪先で急所をはたき上げる蹴り方、踵で蹴り込む蹴り方を使い分ける。
引き足をしない。

2011年12月8日木曜日

教えるのは難しい←当たり前

人を育てる方法。
いろいろやり方もあるだろうし、どれがベストなんか決められないものだろうが、同じ事を100回繰り返して言聞かせ続けるのが面倒くさいと感じている人が、技は盗むものだ、と唱えている気がしてならないんです。

成る程盗んだ技はしっかりと身につきますし、理解も深い。
ただし成長は個人の資質や感性に大きく左右されるので、ロスも多い。
ロスとは、時間であったりお金であったり、人材そのものであったり様々です。
言い換えれば、掛けた時間(お金)の割に成果が乏しい→オーライな守備範囲が狭い人間が出来上がる、
不適格(だと思い込む)者が落後しやすいという事です。

くどい程言い聞かせることで教えると、形だけなぞって理解が伴わないとか、すぐ忘れるとか問題もありますが、安定した成果が出やすく、コストパフォーマンスは非常に高い
(ここに更に、失敗が少ない→成果が出る→褒める→モチベーションが上がる→(頭に戻る)というスパイラルが加わるともっと良いと思います)。
ただこれは指導法としては難しい。よく「言ったはずですが」「言った通りにして」と言う人がいるが、言う事ではなく伝え理解させる事が指導だという事を、言う側が理解出来ていない。
また、言う事に自信が伴わなければ、言葉は聴く相手に深く伝わりません。

個人の資質が全て、例えば芸術やスポーツ、一部の伝統工芸では”盗め”もアリでしょうが、これが仕事で、サラリーマンが集う会社という世界で、全体利益、総力戦という視点で考えると、100回でも1万回でも噛んで含めて教え続ける、個人の成長よりも成果優先の方が正しい気がします。

さて、言われた事しかしませんロボットを大量生産する恐れもあるのでは、という気もしますが、大丈夫、我々は人間です。好奇心や野心、成長欲が阻害されなければ、与えられた手段を武器に、必ず自分を大きくするよう、人は動きます。
「言った通り」で束縛された人・「言った通り」を守って成長している人。
この差は一体どこにあるのか。指導スキル、チームワークの本質がそこに隠れているような気がします。


人は人ではなく、私の鏡と思ってみる

2011年12月1日木曜日

それで面白いのか??

数年前、腰痛がひどくなり、近所の整骨院にしばらく通ったことがあります。
そこは人気のお店?だったみたいで、近所の学校の運動部員が、夕方には大勢治療を受けに来ていました。

そこで素朴な疑問が。
たかだか学生の、趣味の延長みたいな部活動でどうして体を壊すまで頑張るのか?頑張らせるのか?
プロのアスリートが食っていくために自分の体を消費するのなら、まだ理解は出来るが、
素人が痛みを抑えながら、体をだましだましスポーツやったって、もう面白くはないだろう?
そして30手前で引退して、たった10年程度のキャリアをぶら下げて、死ぬまでの4〜50年をOB風吹かせながら生きていくつもりなのだろうか。

整骨院の治療は大抵どこも同じで、患部に電極を貼付けて電気を流し、無理に筋肉に弛緩と収縮を繰り返させる。
僕はどうもこれが苦手で、今は整骨院には通っていません。

話がずれましたが、やればやる程、体を痛めるスポーツってどうなんでしょう。

2011年11月27日日曜日

久しぶりの蟷螂拳教室

(毎週日曜日に練習しているのは、中国拳法の蟷螂拳、その中で僕が学んでいる流派は、台湾が発祥の長拳蟷螂門です。日本武道=少林寺拳法は、毎週水曜日・・・ですが、最近は帰りが遅いので練習に参加出来ていません。・・・)

先々週、先週が都合によりお休みだったため、本日3週間ぶりに教室に行って練習。
拳法が休みだったからと言って、トレをさぼっていた訳じゃありません。ジムで基礎トレは欠かさずやっていましたので、套路がいささか怪しくなっていた以外は、きちんと体は動きました。

中国拳法と日本武道、僕の場合、一番戸惑うのが、蹴り技です。
日本武道の蹴りは、大抵、前足底を軸に体の回転、ねじりを活かして蹴り込みます。
だから蹴るときに、軸足の踵を上げろ!腰を返せ!と指導を受けます。
中国拳法の蹴りは、そういう蹴り方を指導する流派もあると思いますが、軸足の踵をきちんと地面につけたまま、体をねじらずに蹴ります。
踵で地面を踏ん張って、反発力を蹴り足に伝えて打撃力に変えるという理屈です。

僕の体には、日本武道の蹴りの技術が深く染み付いていますので、”踵を活かした蹴り”がどうしても理解出来ませんでした。頭では分かりますが、体が動かない。
で、今日、不意に踵を活かした蹴り方が出来たというわけです。
未熟ではありますが、踵を踏ん張る事で生まれる力が腰を介して蹴り足に伝わり、思いのほか、筋力を使わずに蹴る事が出来ました。そうか、この感覚か。
よく中国拳法で、重力を味方にする、とか、地球の力を利用する、と表現をする人がいますが、この感覚の事なのだろうか?

突きにしても、踵を使います。相手を掴んで引っ張る時など、まさにそう(これは日本武道もでしょうが)。
しかし気が焦って、形ばかり、小手先ばかり追求し出すと、この感覚は薄れます。奥が深いよ。

ところで、拳で相手を打つ事を、中国拳法では「捶(すい)」と書き、「突」と言いません。
捶には、むち打つ、とか、差し込むというニュアンスがあるようです。
突というと、例えばハンマーで叩くような打撃力を感じます。
邪推ですが、捶には、瓦や木材をぶっ叩いて破壊するのではなく、人体の急所を素早く攻め、ごく狭い範囲に力を伝える、それこそむち打つような、しなやかな貫通力が求められているのではないでしょうか。
というわけで、拳の握り方を変えました。
日本武道よりももっとグー握りに近い握り方で、小指側の拳頭を当てるイメージです。
そんなんじゃ、手の骨折れるぞ、とお叱りの声も聞こえてきそうですが、しばらくこれでやってみます。
ああこの方がラクだ。肘や肩が力まない。これ縦拳用の握りだ。

2011年11月24日木曜日

今日も仕事でした

加圧に行けない日が続きます。仕事だからしょうがないか、とは思いつつも、だいたい仕事のまわし方がおかしい気がします。
一ヶ月前に入社した僕が、なんで自分の入社手続きを今頃になって自分でやっているのか。
どうなってんだ?ここは。

さて、愚痴は置いておいて、加圧に行けない分、近所の体育館で発散しています。
もうジム辞めて、体育館に通った方が時間もお金も節約出来るんでは、位の勢いですが、まあそんな事にはならないと思います。
体育館では、基本的にワンツウスポーツで教わった事の復習みたいなトレーニングを続けています。
コアトレがメイン、あと、拳を使いますので、背筋の筋トレです。
筋トレだけでウェアが汗まみれになりますから、それなりのペースで追い込んでいるつもりです。
で、今まで打撃系の体を作るためのトレーニングばかり考えて実践してきましたが、たまたま目にしたブラジリアン柔術のトレ動画が素晴しい。

コアトレの固まりみたいなトレーニング

かなりハードルは高めですが、これはやってみようかな。

趣味でここまでやるのかよ?と思っている人へ。
趣味でここまでやる人というのは・・・
きちっと目標を持って体を作り込む、自分の体をデザイン出来る、人一倍勉強熱心でストイックな人達です。好奇心、探究心も強い。
明日に疲れを残さないために、くたびれるまで運動をやる、疲れたらオシマイな人が大半かと思いますが、体がしんどくなってからがスタートだ、と心を強く出来る人達です。
明日もきちんと働けるよう、節制をしてコンディションを整えることが出来る人達です。
で、結果を出す。


BJJトレの発展形?

知らない世界でした、BJJ。
見ていると、それ関係あるの?と悩んでしまうメニューもありますが、楽しく体を動かしているのなら問題無しですよね。

この動画の始めの方に、基本的な受身の練習を見ることが出来ます。
打撃屋の最大の欠点は、この受身を全然練習しない事です。

2011年11月20日日曜日

一部を切り出してみる

ブラジリアンキック。膝を前蹴りの要領でまっすぐ上げ、
腰の回転を使い、膝から先を回して蹴り込む技。

少林寺拳法の基本の回し蹴りは、このブラジリアンキックと同じです。足の軌跡は、途中まで前蹴りと同じ。
いわゆる回し蹴りに比べて、スピードや破壊力は劣ります(・・・のですが、この少年はすごい。ビシビシ効く蹴りですね)。
この蹴り方のメリットは、
・途中まで前蹴りと区別がつきません。蹴られる方は、たぶんびっくりすると思います。
・蹴り足のひざで金的ガードが出来ます。
・体勢が崩れないので、すぐに次の技に移行出来ます。
ちなみに少林寺拳法では、足の甲ではなくて爪先を相手に当てます。
先輩から、ピンポイントで急所を狙うため、と説明を受けましたが、元々の中国拳法が、靴を履いた状態で戦う前提だったからでは、と、僕は思います。


回し蹴り。少林寺拳法では「振り蹴り」と呼び、明確に区別をします。

回し蹴りとは別技で、振り蹴りという蹴り方があります。いわゆる「回し蹴り」と同じです。
軸足の返し、腰の開き、蹴り足の返し、全身を使って横から蹴り込みます。
特徴は、
・一撃必殺のパワーが出ます。
・急所が空きますので、ここ一番の使い時を見極めて放たないといけません。
(腕の振りで反動をつける人がよくいますが、個人的にはそれは違うと思います。
蹴りのパワーのベクトルを打ち消しているように思えますので)。

振り蹴りと回し蹴り、どちらが良いということはありません。時と場合で優劣は変わります。

最近、少林寺でも剛法(突き蹴り)技だけを取り出して乱捕りを行い、他人と技を競いたがる人達が増えてきました。
気持ちは分かりますし、その方が剛法のレベルは上がると思います。
しかしおそらくそのやり方では、「振り蹴り」が「回し蹴り」となり、少林寺本来の「回し蹴り」は失伝してしまう気がします。
半可通な知識と乏しい経験で「進化」を唱えるのは同意しづらいです。
創始者の深い意図を汲取り、一部の技だけでなく、体系として捉える、俯瞰の出来る視点を持たないと、柔道や剣道のようになってしまう気がします。