2017年4月15日土曜日

書籍「日本の下層社会」を読む

ひどいタイトルだなあ、と思わずうなってしまう。
この本は明治31年に、新聞記者 横山源之助氏の手で上梓された、タイトル通り当時の下層階層の人々の実態を綴った本だ。

凄いのは、車夫、大道芸人、織工、小作人など具体的な職名を挙げて彼らを貧民であると定義し、彼らの1日に必要な生活費と実際の収入を具体的に記し、〇〇市△△町に多く居住すると紹介している点だ。
今じゃ無理。アウトである。
もちろん、著者は彼らを蔑んでいるのではない。揶揄したり下世話な好奇の心で披露しているのでもない。
彼らの雇用主に対して義憤を覚え、怠惰に流れる職人に疑問を呈し、あるいは叱咤し(心の中で)、総じて社会正義に溢れた論調となっている。
明治の時代の、あまり目に触れない人々の生活を垣間見ることが出来るし、知っていると思っていることでも、違った側面を知ることが出来て興味が尽きない。

大阪の慈善家、という章があり、小林佐平なる人物が紹介されている。
後の資料(つまり、今現在出回っている資料)では、彼は侠客、慈善活動家、事業家として概ね好意的に描かれている。
さて、実際に取材に基づいたこの本では、どのように描かれているか。

まず本人宅は、「何人の住居やらんと思わるるまでに建築厳か」だ。
そして彼が授産施設で雇っている職人(未成年の住み込みの障害者)といえば、
賃金は「悉皆(全部)小林氏に納め」、「もとより1厘をも児童に手にせしめず」。
勤務時間は皆朝5時に起き、すぐに労働に服し、3時か5時が終業となる。
休日は月に「1日と16日の2日なり」。
休日と言えども、「1歩だも外に出づるを許さず」。
彼らが寝起きする部屋は、10畳程の広さで、模範児童にあてがわれた古い畳が4畳敷いてあるのみで、いつ掃除したのだろうかが気になる程の状態だ。
出会った児童は皆頭を下げてくるが、
「群れる児童について健全の容貌を有せるものを見出さんと苦しみたれども得ざりき。
多くは顔色衰えてまぶたの辺り爛(ただ)れたるもの、頭上にクサある者、最も多し。」

取材を終えた横山は帰り際、「小林遊園場と記せる庭園に何心なく足を入れたり」。
そしてそこで、「真正面に袴を穿ち、扇を手にして指揮せる一巨漢」・小林佐平の銅像を目の当たりにする。

珍しく、この章では義憤も、嘆息も、読者への呼びかけもなく、ありのままを坦々と綴っている。
しかしただ一箇所だけ、「臆面もなく」という表現が使われている。
取材させて頂き、また、行政に顔がきき、まかりなりにも社会的な名声を得ている小林佐平に対しての配慮が文間から読み取れるが、横山はおそらく激しい違和感を覚えている。

障害者、それも未成年者が飼い殺しにされている現状を見、今に伝えてくれたことに敬意を表したい。
小林なる人物に関する資料の多くは書き直されるべきだろう。

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