2017年9月30日土曜日

嬉しいことに

放課後等デイの仕事をさせて頂いてから、半年が過ぎた。
僕も人間が甘いもので、子供達が悪さをしても、中々厳しく叱ることができない。
子供たちはそれがわかっているから、他の、ちゃんとした指導員よりも、殊の外僕に甘えすり寄ってくる。まあ、こっちもそれが可愛らしいから、益々甘やかしてしまうのだが。・・・反省。

いつまでも単なる”大きな遊び相手“ではいけないので、本やらネットで発達障害について勉強をする。
で、ほぼすべてのテキストで、発達障害と家庭環境(しつけなどの後天的要因)は関係がない、と書いてあるが、実感として、当初僕は関係があると思っていた。
しかし、現場に入り、子供たちと触れ合い、考えてみると、やはり後天的要因で発症はしない。ただ、家庭(親)の状態により、発達障害、自閉症スペクトラムに似た振る舞いをする子が育ちやすい、と最近は考えている。

少し具体的に書く。
お金がないから、片親だから良くない子が育つということではない。
子供と接するよりも自分がゲームする時間が大切な親、面倒だからご飯の準備をしない・子供をお風呂に入れない・トイレの躾をしない親、子供がかんしゃくを回すと、うるさいからなのかすぐに許してしまう親、こういう家庭で育つ子の中には、全く健常なのに発達障害の子みたいに振る舞う子がいる。多動、暴力、虚言癖、非社交的・・・。

放課後等デイでは、家庭の問題にまで踏み込んだりはしない。
決められた時間から時間まで子供達をお預かりし、楽しく、健やかに機能訓練と社会訓練を行なって親御さんにお返しする、そういう施設だ。
昨夜はきちんとご飯食べたか?風呂に入ったか?なんてどうでも良いことだ。うちの勝手です、と親御さんが言われれば、それまでのこと。
ただ、そういった立ち入った干渉をすることなく、もっと踏み込んだ、必要であれば生活スタイルを変えてしまうほどの関わりをどうすれば持つことができるか、画策中である。
シンイチ先生が言うのなら、ボク毎日お風呂に入るよ、ご飯残さずに食べるよ、宿題全部やるよと決意してくれる、そういう人間関係を子供たちと築きたい。

2017年9月24日日曜日

昇段審査を受ける

 先週の連休は、定例の合宿を朝倉市にて執り行い、参加させていただきました。
 今回は初段の允可をいただくための昇段審査を受験するという大きな目的がありました。
受験が決まったときから、日々の練習にも一層力を入れて努力をしてきました。
サラリーマンゆえの時間の問題には大いに悩まされましたが、套路を打ったり、兵器を振り回すだけが練習じゃない、地道だけど、お風呂のついでのストレッチとか、歯磨きしながらの圧腿とか、座っているときは猫背に気をつけるとか、生活の隙間に詰め込める”出来ること”は大抵詰め込んだつもりです。
 結果は、審査をしていただいた先生に大いにお目こぼしを頂いたお陰で、段位を頂くことはできました。が、拳士としての課題は依然としててんこ盛り、いや、なまじ段を頂いたばかりに、更に多く、切実になった感があります。

 いろんな思いが錯綜した、今回の合宿です。まずは、素直に昇段を喜んで、課題はひとつひとつ謙虚に、地道に追求したいと思います。
ご指導いただいた指導員の方々、昇段審査のお声を掛けてくださった先生方には、感謝しても感謝しきれません。ありがとうございます。

(補)
合宿が終わり、なんだかんだでやっぱり実力不足だから昇段は保留ということになった。
年明け(2月)に追試を受けて、それで合否を出すという事になった。
もちろん練習して臨んだのだが、試験は中断され、そもそも基本ができていないから表演しているソレは螳螂拳っぽい別のなにかであり、審査に値しない。架式が1分できないのに螳螂拳はできない、追試は中止という結論を頂いた。
そういう事は早く言ってくれと思いかけたが、気持ちのなにかが崩れた感じでもういいや、という気分になり、オレがいて螳螂拳があるのか、螳螂拳のためにオレがあるのか分からなくなったのでしばらく離れる事にした。
2、3ヶ月全く練習に出ず、家でも一切自主練はしなかった。ただ腹は立っていたので架式の各1分は欠かさずやった。
今でも套路は家ではやらない。今まで3回だの5回だの通して、それなりに身についたなと思ったことを全否定されたことを考えると、やる気にならない。
久しぶりに教室に顔を出すと、保留預かりとなっていた認可状を追試なしに手渡された。これにどれほどの価値があるのだろう。

2017年9月9日土曜日

不調の日々


コンクリの床であまり考えずに練習をしてしまい、右足のかかとを強打。
軽度の靭帯損傷と、かかと奥にダメージが残り、歩くたびに具合が悪くなる。
・・・ということが先週起こりましたが、平行して食中毒症状に苦しんでいました。
金曜の夜から具合が悪くなり、土曜日は朝から8度近い熱が出、ずっと下してトイレから出られない。
鼻水が出るとか喉が痛いとかがないので、風邪ではない。
土日しっかり寝たら熱も下がり、下痢も治ってきたので出勤。職場の近所の内科で診てもらったら、胃腸炎で間違いないだろうとのこと。
約一週間、腹に力が入らず、朝昼晩の毎食後トイレにこもる生活だった。・・・

で、病床に付している間はさすがに暇で、久しぶりにずうっとネットを見る生活だった。
懐かしい動画で、胸が熱くなっていました。



僕の中では高ポイントな、志村けんの持ちネタの一つ”電車の中の酔っ払い”。
セリフがなくても十分笑えるけど、この動画にはいろいろくすぐりが入っています。




沢田研二は、中性的なルックスと、きわどい大人向けの歌が魅力の歌手で、当時小学校低学年だった僕には、距離のある存在だった。
そんな彼がよりにもよって志村けんと共演し、しかもコントをやって、しかもしかもかなり面白いと、これは衝撃だった。おかげで沢田研二が、とっても身近な存在になりました。
これは、志村&沢田の定番芸のひとつ。

こんなのばっかり観て笑っていたら、すっかり回復しました。
足も調子良いです。

2017年7月1日土曜日

子供達について

現在勤務している法人が、放課後デイを運営している。いずれ老人介護施設の運営がメインになるのだが。
来てくれている子供達は、皆、いわゆる障害者だ。行政が認定し、手帳も持っている。
一般的な社会生活が不可能な子もいる。が、ほとんどは、(僕の目には)ちょっと落ち着きがないとか、勉強に興味がないとか、ウソが多いとか、個性の範疇で括れる気がしてならない。
で、そのほとんどの子達が、気持ちが落ち着く薬を服用している。
その薬のおかげで?、他の児童と大きな喧嘩をすることもないし、どうにかこうにか宿題も終わらせているし(うちの施設では、まず宿題を終わらせてから遊ぶ、という取り決めにしている)、片付けも掃除も出来ている(丁寧さは求めていない)。
でも、時折彼らが発する「やったー!」「わーい!」の声に、こちらの心に響くほどの感情がこもっていないように感じる。
薬は、感動や喜びの気持ちまで薄めているのではないのか。

気分の落ち着く薬を飲むのは、なんでだろうか。
親や僕らが管理しやすいからなのか。
服用することで、なるほど気持ちが落ち着いて、勉強や社会活動に取り組むことができる。しかし必要な知識、教養を身につけるのに、持って生まれた彼らの個性では不可能だ、ということだろうか。
常々思う。重篤な子はともかく、多少落ち着きがないくらいの子が受け入れられないのは、受け入れる側の社会が未熟なのではないだろうか。

2017年5月14日日曜日

自分の動きを見る

台湾での演武をビデオで撮影して頂いたので、じっくり見てみた。
あー、こりゃアカンな。棒立ちで、手先、足先の動き。早くても軽い打撃。
架式が出来ていない。
ゆっくり焦らず、正しく型を練り直そう。アカン。

2017年5月7日日曜日

帰国後の練習で感じたこと

私のホームグラウンドである早良体育館で、帰国後初の練習。
台湾で表演、練習を行い、自分の欠点に色々気づくことができた。
ひとつひとつ直したい。
まずは錬子捶の見直しから。いくつかバージョンがあって、どれも正しいのだろうけど、せっかくだから台湾で教えていただいた型を練習した。
次に、四路梅花刀。直接教わったわけではないが、撮影した動画を元に形の見直し。
もはや癖になってしまっているので、仲々修正ができません。・・・
それと、套路をゆっくりとやることが出来なくなっていた。
気づかないうちに、流すような練習になっていたようだ。
摔手、架式、足上げ、基本六路が済んだら1時間半くらいぶっ通しで套路の練習を行った。
早くならないように、意識してゆっくりと、曖昧な部分をみつけて直しつつ。

2017年5月5日金曜日

台湾訪問

4月29日から5月1日にかけて、台湾の台北市に行って来ました。
目的は、たびたび話題に出していますが、長拳螳螂門設立40周年記念式典に出席することと、本場で練習に参加して腕をあげることです。そして、観光もちょっぴり。
結果ですが、式典では多くの方々の素晴らしい表演を見ることができて大変勉強になりました。また、私の所属する組織の大きさを改めて感じることができました。肝心な自分の表演は、まあ、次回への貴重なステップということで。・・・
本場の練習は、得るのもが多くてとても貴重な体験をさせていただきました。
なにか新しいことを学ぶのではなく、用法を通して套路の精度を上げていくような内容であったり、あまり普段はやらないチンナ(関節技)の技法紹介、練習だったりと、忘れることのできないくらい面白く、目の覚めるような内容でした。
帰国してから早速ノートにまとめ、頭の中で反復練習をしています。
また、沢山の素晴らしい人達と知り合うことができました。ありがたいことです。
私にとっての武術が、単なる興味本位から少しウェイトアップした気がします。
さて、式典が済んだのでこれからは四大兵器の唯一のやり残し、剣に取り組もう。

2017年4月22日土曜日

表演練習の仕上げ

近所の体育館で、追い込み練習。
15回套路を通した。先輩方の速いペースに合わせて動けるよう、練習でも速いペースを心がけた。
套路はきつい。ヒーヒー言う。そのくせ早く動けてはいないし、形も乱れている。
なにが先輩方と違うんだろう。
思い至ったのは、丁寧に動いた方が早く動けるようになるのでは、ということ。
丁寧にやろう。正しい架式、歩法、ファンソン。そうしたら、なにか気が流れたような、目の覚めるような感覚を覚えた。10回通した後だけど、きつくない。ファンソンもなんとなく良い感じにできているようだ。
気とかオカルティックなことは考えてないが、なんとなくまた套路が進化した感じだ。
表演1週間前、ここに来て、まだ進化するか。練習するものだな。
さらに5回通して、感覚を身に刻みつけて練習を終えた。
進化したかな。

2017年4月15日土曜日

書籍「日本の下層社会」を読む

ひどいタイトルだなあ、と思わずうなってしまう。
この本は明治31年に、新聞記者 横山源之助氏の手で上梓された、タイトル通り当時の下層階層の人々の実態を綴った本だ。

凄いのは、車夫、大道芸人、織工、小作人など具体的な職名を挙げて彼らを貧民であると定義し、彼らの1日に必要な生活費と実際の収入を具体的に記し、〇〇市△△町に多く居住すると紹介している点だ。
今じゃ無理。アウトである。
もちろん、著者は彼らを蔑んでいるのではない。揶揄したり下世話な好奇の心で披露しているのでもない。
彼らの雇用主に対して義憤を覚え、怠惰に流れる職人に疑問を呈し、あるいは叱咤し(心の中で)、総じて社会正義に溢れた論調となっている。
明治の時代の、あまり目に触れない人々の生活を垣間見ることが出来るし、知っていると思っていることでも、違った側面を知ることが出来て興味が尽きない。

大阪の慈善家、という章があり、小林佐平なる人物が紹介されている。
後の資料(つまり、今現在出回っている資料)では、彼は侠客、慈善活動家、事業家として概ね好意的に描かれている。
さて、実際に取材に基づいたこの本では、どのように描かれているか。

まず本人宅は、「何人の住居やらんと思わるるまでに建築厳か」だ。
そして彼が授産施設で雇っている職人(未成年の住み込みの障害者)といえば、
賃金は「悉皆(全部)小林氏に納め」、「もとより1厘をも児童に手にせしめず」。
勤務時間は皆朝5時に起き、すぐに労働に服し、3時か5時が終業となる。
休日は月に「1日と16日の2日なり」。
休日と言えども、「1歩だも外に出づるを許さず」。
彼らが寝起きする部屋は、10畳程の広さで、模範児童にあてがわれた古い畳が4畳敷いてあるのみで、いつ掃除したのだろうかが気になる程の状態だ。
出会った児童は皆頭を下げてくるが、
「群れる児童について健全の容貌を有せるものを見出さんと苦しみたれども得ざりき。
多くは顔色衰えてまぶたの辺り爛(ただ)れたるもの、頭上にクサある者、最も多し。」

取材を終えた横山は帰り際、「小林遊園場と記せる庭園に何心なく足を入れたり」。
そしてそこで、「真正面に袴を穿ち、扇を手にして指揮せる一巨漢」・小林佐平の銅像を目の当たりにする。

珍しく、この章では義憤も、嘆息も、読者への呼びかけもなく、ありのままを坦々と綴っている。
しかしただ一箇所だけ、「臆面もなく」という表現が使われている。
取材させて頂き、また、行政に顔がきき、まかりなりにも社会的な名声を得ている小林佐平に対しての配慮が文間から読み取れるが、横山はおそらく激しい違和感を覚えている。

障害者、それも未成年者が飼い殺しにされている現状を見、今に伝えてくれたことに敬意を表したい。
小林なる人物に関する資料の多くは書き直されるべきだろう。

再来週は台北か・・・!

再来週は、いよいよ台北。初の表演が、よりによって新生国術館の記念式典とは。
今更ながらドキドキしてきた。
2ヶ月間の練習は、この日のためだ。自分を信じよう。きっと良い結果で終われる。
その後は日台の偉い人達を交えての懇親会。またなにか、人生が良い方向へ開けそうな気がする。・・・
きっと白猿偸桃という套路は、自分にとって格別に思い入れのあるものになると思う。
それにしても、非常に豪気に溢れた力強い套路だ。
今日も体育館で自主練習したが、套路はゆっくり通していたらダメだと思った(特に白猿偸桃は)。リズムや重心の使い方など、ある程度早く動かないと体感できない要素がある。
おそらく、そこをきちんと抑えないと、歩法や架式が正しく出来ないのではないか、と思う。
同じ套路ばかり続けてやっていると、なんとなく煮詰まりそうなので、白猿偸桃と十八叟を交代でやっている。豪気と端正を行ったり来たりだ。

2017年4月1日土曜日

武道放話

時間を見つけて、近所の体育館に武術の練習に行っている。
大野城市とは違い、福岡市のここでは、何をやるのかで使える部屋が決められている。
具体的に言えば、球技のコートがある部屋や、ダンベルやヨガマットが備えてある部屋では武術ができない。で、「武」関係者は皆、武道室一箇所に集められて、お互い場所を融通しあっての練習となる。

おかげで、色々な他の団体を見て、色々考えている。
人は「武道」って聞いて、どんなことを思うだろうか。
厳しい自己管理、躾、掃除、縦社会、ひょっとしたら取っ付きにくさ。・・・
女性や子供たちは、怖いと感じているかもしれない。

僕の中では、武道とは厳しい自己節制や礼儀正しさ、思いやり、そんな印象である。
だって”道”ってわざわざ言っているくらいだし。

いろんな団体と、同じ部屋で同じ時間帯に練習をしている。
たいていの団体は、練習が終わっても掃除をしないでそのまま帰っている。
こんにちは、こんばんは、お疲れ様が言えない。
そもそも話が多くて体を動かしていない。
門下生が掃除をして、他の団体に挨拶をして帰っているのに、肝心の先生様が掃除もせず、放談しながらお帰りになっているところもある。

先生方も、本業の合間にボランティア同然に指導をして、お忙しい中のご苦労ではあると思う。
とは言え、ご指導の内容が、名もない小さな地区大会で勝ち残るためのテクニックに終始していたり、なんとなくご自身のストレス発散だったり、それでは教えられる方は、礼儀も身に付かず常識も学べず、本当に厳しい練習にはなっていないから、思いやりも身に付かない。
学生の間に”段”までは取って、社会人になったら辞めてしまい、子供の頃のなんとなく良い思い出で「武道」を終わらせてしまう。”道”に至らない。
エクササイズか今風に言えばワークアウトか。

僕が求め過ぎなのか。

2017年3月27日月曜日

再読 増補 江戸百話

目次を見てもわかるが、きっちり百話、江戸末期の様々が収められている。
加えて、増補として、明治初期に没落した(三井に取って代わられた)豪商・三谷家の元使用人が語る、ほのぼのとして切ない思い出話が付されている。

この百話は、いずれも明治中頃の老人たちによって語られている。
青年期に体験した、明治維新以前の暮らしを、モウ5、60年前のお話ですが・・・と語り聴かせてくれる。
彼らが語る、正月三が日の深夜、浅草門付近で侍の斬り合いに遭遇し、這々の体で逃げ出した話。
桜田門外の変を聞き、直後の現場を見に行った男の話(「桜田御門に向かっては馬上具足に身を固め、向う鉢巻の年輩二十歳ぐらいの士(さむらい)、小脇に手槍を抱込み来たるなんど、その顔の雪に映じて蒼味をおびた様子」と、遭遇した侍の様子を述懐し、平安に慣れた身でも、戦いとなると人はこんなにも変わるものだと感じ入っている)、等。

特に心に残ったのは、肥前佐賀鍋島家の、夜の大名行列に遭遇したお爺さんの話だ。
ハイ私は本年七十八歳でございます。・・・と語り出す老爺。彼が遭遇した夜の大名行列とは、こんな様子だ。
御紋の付いた提灯が、9尺おきに27ケ×2列も並ぶ、綺羅星のような大名行列。提灯をかざす人の背丈まで揃えたのか、一分一厘の上下もない。
この光の列が、咳ひとつなく、シトシトと夜の通りを過ぎて行く。
夢のようだったと話すが、聞かされるこちらもその光景を想像し、思わずうっとりとしてしまう。
また、50年ほど昔のある夜、女の子を連れた職人風の男に、道中でしるこを呉れるよう頼まれている(お爺さんは、2代続く露天のしるこ屋だ)。
夜更けにしるこを食わせてやろうと子供を連れてきた職人にも、なんだか切ないドラマを感ぜられずにいられない。
総じて、もったいぶったり格好つけたりする必要のない人たちが、良いも悪いも当時を振り返り、もう時効でしょうからとなかなかそそられる話を聞かせてくれている。

話が収集されたのが明治30年後半。よくぞここまで収集し、資料として遺してくれたものだと感心せずにいられない。

2017年3月24日金曜日

読了:天狗芸術論・猫の妙術

両作共、江戸時代中期の武士・佚斎 樗山(イッサイ チョザン)による武芸の心得を説いた本だ。

天狗芸術論は、武芸者が山中に天狗を求め、武芸上達の秘訣を聞き出そうとする物語、猫の〜は、誰も捉えることのできなかったネズミを事もなさげに捕らえてみせた老猫が、仲間にせがまれて語る武芸の極意(ネズミ捕りの極意?)。
戦おうと気負う程負ける、かと言って明鏡止水・泰然自若を求めようとするほどその作為が敗けを呼ぶ、じゃあどうしたら良いの?そこが極意、という事で。・・・
宮本武蔵の五輪書が、例えば立ち方・歩の進め方、刀の握り方、目線の付け方など具体的に”戦い方”を指南しているのに対し、こちらは心の有り様を語り尽くしている。
そして、どちらも、「刀だけじゃダメだぞ、勉強もしろよ」と釘を刺している。

両作とも1回通読して、ああ分かった成る程ね、では終わらない。なにしろここで語られるのは、長い年月、コツコツと修行を重ねても果たして到達できるかどうかの境地だ。
それは例えてみれば、遥か彼方の山の頂だ。
薄ぼんやりとしか見えないが、向かうべき先が示してある。
すぐに行き先を誤ってしまいそうになる僕にとって、これほどありがたいことはない。

気になる方は、アマゾンにリンクを貼りますので見てみて下さい。
天狗芸術論・猫の妙術

2017年3月23日木曜日

AirPods購入

1ヶ月半前に注文をしていたAirPodsが届いた。
じつに6週間待ち。人気なのだろう。
iPodをよく使っているのだが、イヤフォンのケーブルの邪魔なことといったらない。
これさえなければ・・・と、いつも思っていたので、エアポッドは待ちに待っていた商品だ。
ワイヤレス関係は、本体との関連づけ(ペアリング)が面倒くさい、と聞いていたが、さすがアップル製品同士、エアポッドのケースの蓋をiPhoneのそばで開くだけで自動でペアリングできてしまった。
そのほか、耳に装着したら再生開始、耳から外したら一時停止とか1歩先を行く仕事ぶりに感心。さすがアップル。

2017年3月11日土曜日

新生国術館40周年記念式典に向けて

来たる4月30日、長拳螳螂門総本部である台湾の新生国術館の設立40周年記念式典が開催される。
九州分会の表演メンバーの1人として参加させていただくことになり、お目汚しにならないように練習に励んでいる。

表演は、白猿偸桃という套路を行う。低い姿勢で腕や肘を振り回す、力強い印象だ。
これを学んだのが1月末。あとはほぼ毎日、個人練習で磨いている。家にいるときは台所で、近所の体育館に行ければ武道室を借りて10回通し。
套路だけやっても意味がないので、摔手や架式も一緒に行う。
この寒い中、汗ブルブルかいてシャツいっちょだ。

動きは覚えた。拍は良い音出てるし、少ない練習期間の割には我ながら結構動きいいんじゃない、と思っていたのだが、見る人が見ればやはり評価は厳しかった。
指摘を受けたときは軽く落ち込んだりもしたのだが、練習するしかない。
同じ箇所を次にまた言われないように、散漫にならないように気をつけて練習を繰り返している。

功夫の練習をするときは、鏡を見ないようにしている。必要な動きはすべて、自分の体が教えてくれると思っている。
鏡を見ると、頭の中で考えた「正しい動き」と自分の実際の動作を比較してしまう。自分の体の信号よりも、理屈を優先させてしまうのだ。
そういう練習が大切なことも理解はしている。が、例えばゆうべYoutubeで見たどこかの達人のカッコいい動きは、その人のキャリア、年齢、体格だからこその動きであり、その人ならではのものだ。そういうバックボーンが全く違う僕が真似をしても意味がない。角度がどうだ、タイミングがどうだと同じように合わせても、なぜそうなのか、必然性まで深く理解することなく、上手に真似できました、で終わってしまう恐れがある。

必要なことは、自分の体に聴く。その態勢で本当に突けるか、蹴れるか、投げることはできるか、かわせるのか、変な重心になっていなかったか、足が疲れたからと雑な動きになっていないか、etc。
鏡に写る自分の姿を見ながら動くよりも、自分の体が発する信号を拾い上げ、動きの精度を高めていく、そして目の前に呼び出したバーチャルリアリティな仮想敵を見ながら動くほうが、今の自分のは必要と考えている。

という考えで、今日も近所の体育館で汗を流してきたのだが、ふと壁に写る自分の影を見てしまった。で、思ったのは、あ、これは下手くそだ。ということ。
影ってのがよかったのだろうな。どこか体の一部分にピンポイントに意識が持っていかれることなく、全体を漫然と把握できた。
例えば腕だけ、足だけ、と切り出せば、そこそこの動きはできているみたいだ。
が、動きから迫力が伝わらない。これはなんでだろう・・・気迫の問題かな。