2015年7月23日木曜日

公休日

午前中に10キロランニング。今日は大雨が降るとの予報だったので、外の用事は早めに済まそうと思って朝から走ったが、結局、雨は降らず。
家に帰り、さっとシャワーで汗を流し、近所の更科さんで蕎麦と天丼を頂く。
お昼からは散髪。

先週のランニングの疲れが足から抜けず、足取りが重く動きが悪かった。
今までは、たいてい3、4日で疲れは癒えていたのに。老化かな。
年のせいにしたくないので、きちんと休みが取れていないということだ。タンパク質摂っていないから、体の回復機能が十分に働いていないのでは、と思い、久しぶりにバルクスポーツにプロテインを発注。
日本人は、通常必要な量のタンパク質すら日常の食事だけでは賄いきれていない。まして、スポーツをするならばサプリを使うのも必要な方法だと思う。

最近、拳法の練習で組手をやりだしたので、勉強のために『打撃革命』という本を買った。シュートボクシングの第一人者・吉鷹弘氏の著作だ。
シュートボクシングという響きが、まず懐かしい。シーザー武志氏、もう還暦か!
確か結成が30年位前になるが、当時は格闘技ブームで他にUWFやら骨法やらサンボやら養神館やら無門会やらいろんなモノが世に出てきて、本当に楽しく賑やかな時代だった。雑誌もたくさん出ていた。
『打撃革命』だが、素晴らしい内容でした。
この本は、著者も冒頭文で書いているが、万人向けの王道の教科書ではない。実際にリングで試して、得られた成果だけを書いているという。だから、まず基本技術の勉強が必要な、これから始めようという人、基本の見直しをしたい人にお勧めできる本ではない。

内容を読むと、螳螂拳の技術と被る部分が多くあり、嬉しくなった。
まず、突きの時に”膝落(しつらく)”を使うこと。
これは、体軸の回転力で突くのではなく、当たった瞬間に膝を使って突きに体重を乗せるという古伝の技術で、この技術を総合(MMA)の試合の中でどう使うか、使えるかが書いてある。
1−2の打ち方で、ジャブが横拳ならストレートは縦拳で打つことを勧めてある。捻らないのでコンビネーションに無理がないとのこと。
縦拳って、伝統派中国武術に日本伝少林寺拳法と、今どきの流派では白蓮会館くらいしか推進していないと思っていたのに。
螳螂拳でも、単に縦拳を使うのではなく、横拳とのコンビネーションを練習する。で、実際に体を動かしてみると、分かるんだよこれが!
捻りを入れた横拳は、一撃必殺のヤマトの波動砲みたいなもので、K.O.必至だが使い所が難しい。縦拳は、言ってみればウィザードリィのカシナートの刃。使い勝手が良いし割とよく入るがそれだけでは威力が弱い。で、インパクトを出すために膝落を使う。
蹴り技に至っては、ほぼ古流に近い技術。腕の反動を使わない、脇腹を使うとか。
少林寺やっている人は、すっと体に入っていく内容だ
(でも今どきの、回し蹴りと振り蹴りの区別もつけず、キックミット鳴らして喜んでいる拳士連中に果たしてどれだけ伝わるものか)。
全ての格闘家のバイブルになるテキストではないかも知れないが、今迷っていること、疑問に思っていることを吹き飛ばしてくれる、僕にとっては素晴らしい本だった。
昨日届いたが、もう2回読みました。
ワンツウのコンビネーションでは貫手を使え、グローブじゃバレないから、なんて素晴らし過ぎる&非常に合理的⭐︎こういう本が欲しかった。

2015年7月19日日曜日

ここから、の感覚

先日の土曜日、久しぶりに近所の体育館を借りて自主練を行った。その前の日に6キロ少し走っていて、疲れが残っていたが他に練習する日が取れなさそうだったので頑張ってみた。
今日は、毎週日曜日の公式練習日。
暑さもあり、先日の疲れもあり、体が重い。力が出ず、四肢が思うように動かない。
ここからだ。筋肉がばてて、それでも動こうとするときに、技が磨かれる。
本当の武術の動きを学ぶことができる。
きついときこそ正念場。ここからの頑張りが、真の力になる。
オレって頑張ってるね、と、ビール飲んでる場合じゃないんだよ。

2015年7月16日木曜日

拳をみがけ!

尾下正伸氏の『最強パンチ理論』を読んでいる。
ボクシング形式のパンチ理論だ。股関節を使い、回転力を打撃力に変える打ち方が披露されている。
膝の内側を締めて若干内股に立ち、母指丘〜かかとに重心を落とす立ち方。
中国武術とは異なる技法だが、参考になることが多い。また、至近距離で数を打ち合う場合、非常に大きな武器になると思う。

今学んでいる『長拳螳螂門』は、近接戦では螳螂拳、遠距離では長拳という、古伝の武術をいいとこ取りした比較的新しい総合格闘術なのだが(合っているか?)、僕は南拳のエッセンスも入っている気がする。
基本練習では、とにかく体重を活かした重い突きを繰り返し訓練する。
足幅を広くとり、腰をぐっと落として、一発必殺の突きを磨く。
蹴り技は素朴で、華麗なハイキックやブラジリアンキックのようなトリッキーな技はでてこない(私が未熟で、教えて頂けていないだけかも知れません)。

長拳螳螂門を学び出して、5年が経つ。
当初、太極拳の教室を探してネット検索をしていた。で、本当にたまたま、「螳螂拳」の文字を見つけてしまった。
子供の頃に見た、映画『少林寺』でユエハイ氏が披露していたカッコイイ拳法がフラッシュバックした。初心者向け見学会がちょうど予定されていて、そしてそのまま入会した。
体が硬く、きつい事は苦手なので、武術は好きだけど長拳だけは絶対ないな、と思っていたのに、今じゃなんとなく旋風脚っぽいことも出来てしまう。
人間、なんとかなるものだ。

真正面に立つ

人を指導する立場になって、その大変さ、大切さにやっと気がついてきた。
読む人によっては誤解を生むと思うが、育てたい人のわがままを、どこまで聞いてあげられるかが大切な気がする。

よく、言いたいことを言ってください、とか、思っていることを話して下さいと、いわゆる先輩と呼ばれる人たちは問いかけるが、その場で言えることなんてどう考えても限られている。聞く側にも問題があり、聞きたいことや予測していることしか聞こえてこない(人間とはそういうものだ)。
だから僕は、そういう問いかけはしない。普段の仕草を見る。わがままを見せてもらう。
ため息をついてダラダラと動いている。それがその人の”言いたいこと”だ。言葉が姿に現れている。しかも、とても正直に。
その意思表示をどう受け止めるか。そこから何を読み取り、どう対処するか。
真っ直ぐな定規を背中に当てて、曲がった姿勢を自覚させて叱り飛ばすのもひとつの方法だ。
言い聞かせて、励ますのも方法。
が、たいていの場合、本人は、自分が曲がってしまっていることを自覚している。そして、やはりたいていの場合、これじゃダメだ、と、わかっている。
なのになんで曲がっているの?そこに興味を持つのが先輩に必要な感性であり、経験を知恵に変えて導き、解決を促すのが力だと思う。

ただ、ひょっとしたら、彼の姿勢をひん曲がっていると感じてしまうのは傲慢なのかもしれない。


少し前の日本人が遺したエピソードを披露し、日本人って素晴らしいと悦に入っている人達をSNSではよく目にする。
エピソード+海外の人のコメント(お褒めの言葉)がセットになっているのがパターンで、自分達の数世代前の祖先の功績さえ、他国の人のお墨付きがないと自信を持って認めることができない。昭和後期に蔓延した自虐の裏返しにしか見えないし、過去の功績(現代ではない、もちろん自分の成果でもない)を自信なさげに披露して満足を得ようとする軽薄さは、我々日本人の美徳からは大きく外れたものだと思うが、恥を感じないのだろうか。

2015年7月2日木曜日

関わりの力について

日野先生のワークショップを体験して、いろいろ自分に至らないところがあったことに気づいた。

武術は、テクニックも大切だけど、つまるところ人と人との関わり方だと思う。
技が掛かる・掛からない、は、もちろんその人のその技の習熟度もあると思うが、もっと根源に、技をかける側・掛けられる側の関わり方にある。
実際は敵同士だから、関わりなんてないよと思うかもしれないが、人である以上、そこには必ず心のつながりが生じ、関わり合うことになる。
こんな奴に負けられない、うわ強そうだな、とか、なにがしかの心の動きがある。
そこを、利用するわけではない。うまく言えないが、関われる人は強い。

人と関わる力の弱い人は、技は掛からない。
関わる力が弱いと、技が掛からないということもあるが、そういう人は得てして自分の世界の方が好きで、世の中に興味がない人だ。
なので、自分の価値観だけで物事を見てしまい、人と摩擦を生じやすい。ちょっとした違和感に、大きく動揺する。そして自分が傷つく。傷つきたくないから、自分の世界のもっと深いところへ、ちょっとずつ埋まっていく。

人と関わる力は、武術にとどまらない。
必ず実生活に活きてくる。
結局、そのための武術修行でなければならない。


日野晃先生ブログ さむらいなこころ
http://blog.ap.teacup.com/hinobudo/